70年代のアキバ

小学生の時、栃木の田舎から秋葉原に毎月通っていた。

最初は、親戚のお兄ちゃんがアメ横で革ジャンを買うというので、ついて行ってそのまま秋葉原に連れていってもらった。地元では手に入らないトランジスタ(2SA101とか2SB56とか)とバリコンを買った。お兄ちゃんは当時高校生でヤンキー系だったがよく遊んでくれて好きだった。夏休みとか、親戚の誰かが過ごしていた。そんな時代だった。

小学4年生の時で、子供の科学に載っていた二石ラジオを作るためだった。

それまでは、子供の科学に広告を出していたサトー無線(だったかな?)から通販で買っていた。値段は子供向けに良心的で、しかも切手で払うことができた。お年玉年賀状で切手シートが当たるのが一番うれしかった。

秋葉原に直接行くようになって、通販は利用しなくなった。2回目からはクラスの同じ理科少年の友達3人で行っていた。大人の引率は一度もなかった。

今だと、10歳の子供だけで遠出するのは難しいかもしれないが、当時は家出と間違えられることもなく、むしろ乗客の大人や切符を切りに巡回していた駅員とおしゃべりを楽しんでいた。電車賃は、うろ覚えだが200円台だったと思う。往復で500円だったかもしれない。

検索したら、昔の東武伊勢崎線の運賃を発見した(サイト名: 東武鉄道運賃変遷 2019年消費税増税対応 | 時刻表の達人 運賃・料金・ダイヤグラム情報)。こんな情報を集めてくれるとはありがたい。

東武伊勢崎線で、北千住まで杉戸準急だと2時間と少し、各駅停車だと3時間かかった。そこから、日比谷線で秋葉原の電気街口に出るのがいつものコースだった。

ラジオデパート → ニュー秋葉原センター → ラジオ会館と廻れば、パーツ、ケース、工具など電子工作に使うものは全部揃った。さらにラジオガーデンで、巨大なコンデンサや何に使うのかわからない強電系の部品を見て気持ち悪がるのが快感だった。そして、駅に戻ってラジオストアーで、配線用に切り売りのシールド線を買って、最後に関数電卓の新製品をチェックして帰ったものだった。

5年生になって、デジタル回路工作とアマチュア無線を始めた頃、千石電商や秋月電子通商に立ち寄るようになった。若松通商や亜土電子があったかどうかは思い出せない。少し後、中学に上がってからだった気がする。

デジタル部品では、7セグLEDが一番高かった。さらに緑色だと赤色より2~3割高かった。

6年生のクリスマスプレゼントに、千石電商で見かけて欲しかったテニスゲームキットを買った。ボーリング場にあった緑のブラウン管の上を白い点が四隅で跳ね返って、それをボリュームのつまみを回してラケットを上下させて打ち返すやつだ。それを、家のテレビで楽しめた。

完成して友達を呼んだらたちまちクラスで話題になった。ヤンキーの悪友が貸してくれと言って奪っていって 1か月返してくれなかった。ヤンキーだが厳しい親の子だったので、最後は親に言いつけるぞと脅して返してもらった。



コメント

このブログの人気の投稿

[買い物日記] W204 Cクラスの地図データを DIY でアップデート

Xperia V に LineageOS をインストール

[買い物日記] SONOS ONE スピーカーと Apple TV 4K でオーディオ&ビジュアル環境を構築